第17回『スカッシュ人談義』は潮木 仁 さんです。
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----第17回『スカッシュ人談義』は伊藤明さんよりご紹介頂きましたスカッシュ界の重鎮、潮木仁さんです。これからのスカッシュ界の行方など・・・をお話しして頂きましょう!先ず、ご自身のことからお聞きしましょう!
1958年3月9日に生まれました。 戌年です。(でも犬は苦手です) 犬が苦手で情けない話しがあります。以前、世界選手権でエジプトに行った時の事ですが、 ある晩、犬の夢を見て、うなされたらしく、不覚にも哀れな姿をルームメイトの岡田真弥君に見られてしまい、次の日皆に披露されてしまいました。 ----スフィンクスのイメージが犬ですものネッ・・・!?(笑)さて、犬の嫌いな潮木さんはどの様なところでお育ちになり、又学生時代はどちらでお過ごしになりました。 出身は静岡県土肥町(現在は伊豆市) 小学校は小さい山を1つ越えて通ってました。 出身校は日本大学付属三島高校から日本大学経済学部経済学科に・・・2年よりスカッシュ学部に編入? (無事卒業しました)スカッシュをする前はテニスをやっていて 中学、高校時代の夏休みは得意の素もぐりで、サザエ・アワビなどを採ってこずかいにしていました。 ----アワビを採って「おこずかい」に!? それは「おこずかい」には困ったことがなかったでしょう!? いい仕事があったのですねーー!羨ましい!!!(笑) で、アワビを採っていた青年がスカッシュと出会った第一印象は? 大学2年の時、日大のスカッシュ部を友人達と設立した兄にすすめられ、池袋のハタスポーツクラブでキャリア1年の同級生(女性)にコテンパンにやられ、悔しくて次の日からほとんど毎日練習しました。プレイする前は映画のエマニエル夫人のイメージが強く、スポーツとしてのスカッシュを見たことがなかったのでその運動量(想定外)とテニスの経験があったのに壁(サイド、バックウォール)が邪魔で全然点が取れなかった。ラリーが続いているのに点が取れない!?「このヤロー!」と、思ったのもスカッシュをやるきっかけですネッ! ----えーーー? 潮木さんがコテンパンにやられたのですか!? 潮木さんにも最初があるんですネッ!? そのスカッシュですが、楽しさは何処にあるのでしょう? 最初のうちは、取れなかったボールが徐々に取れるようになったり、だんだん上手になって試合に出るようになっていくと、いろいろなクラブ、地方、国に友人が出来ること。人との出会いに楽しさがあります。スカッシュの導入のきっかけになったのも、次の日からコートに足が向いたきっかけも、人との出会いです。コートに連れて行ってくれた方が僕の兄貴の同期で専修大学スカッシュ部の創設者の方で、当時のその方のスカッシュを見て「カッコいいナーー!」と思いました。今、静岡で『うなぎや』をやっている杉山さんという方ですけどネッ。 ----試合ではスカッシュの楽しさである数ある出会いがあった事でしょう!さて、全日本選手権第9回が準優勝で始まり、10回から23回までの14年間連覇のチャンピオン時代の思い出をお話しして下さい。 14連覇なんて最初はできるなんて思ってもいませんでした。 前チャンピオンの坂本さんの練習量を見ていたので日本チャンピオンはこんなにも練習するのかと思い、自分には無理だと考えていました。 大学4年生の時、オーストラリアでの世界選手権が僕の人生を大きく変えました。4年ですから就職活動もあり、両親を安心させる為に某スポーツ会社の内定を貰いオーストラリアに行きました。そこでオーストラリアのスカッシュ事情、例えばコートの数や小学生が授業でやる、主婦層が昼間楽しむ、アフター5にはビジネスマンが楽しむスカッシュ・ファン層を見て、自分のやっているスカッシュってオーストラリアではこんなにポピュラーなんだと思いました。日本でもこの様にならないかと思いました。 ----私もそう思います。オーストラリアはそうらしいですね!? 海外の方はスポーツでも何でも楽しみ方が上手ですネッ! オーストラリアで3ヶ月間過ごす間、あちらのナショナルチームの選手が一緒に練習してくれました。今では考えられないことですよ!その練習は単なるボースト・ストレートですけど試合の時以上に緊張しました。ラリーが続かなくて恥ずかしいのですが、それでも一緒にやってくれる世界選手の素晴らしさを見て、このスポーツをこれから一生やっていこうと思いました。帰国して早速、Do晴海に練習に行ったら「スカッシュのインストラクターにならないか!」と、誘われグラットきました。親にも無断でDo晴海のインストラクターになる為に日新製糖に就職することを決心しました。
そうです!坂本さんはすごい人でした。その当時彼より強い日本の選手はいませんでした。だから、彼の目は世界に向いていました。海外の試合に行った時もあちらのすごい選手とゲームしていました。自分の試合があるというのにそれだけの体力があるんです。彼の考えは海外でどれだけ活躍できるかを考えトレーニングしていたと思います。僕も見習わなければと思いましたよ。そのオーストラリアで坂本さんが敗れるのを何回も目の当たりにしているうちに、自分にも勝つチャンスがあるのではと思い、その年の11月、全日本準決勝で敗れた時に3年計画を立て2年目の1981年に運よく勝ってしまいました。でもその後が大変。先に話したようにチャンピオンの練習量をこなすだけで精一杯でしたが、1回ずつ連覇を重ねるごとにトレーニング回数を増やしていきました。 3連覇の前にもう負けないだろうと最終日前夜に大好きなビールをしこたま飲み、決勝で右手の指が攣ってしまい、2ゲームダウンから3ゲーム目も1-5で負けていましたが、そこから逆転勝利しました。ほぼ諦めかけていたのですが、数日前に見た東京女子国際マラソンでロシアの選手が胸のゼッケンの安全ピンをはずし、痙攣している足に刺しているのを思い出し、私も右腕の前腕部分を噛んでやっとラケットをにぎりました。マッチボールを握ったときにはかなり攣りがひどくなっていましたが、ラリーの末、相手のボールがダウンして勝利したのが、最大のピンチで、それ以来大会(特に全日本)の前は禁酒していました。(まじめに笑) ----やはり、連覇をするスポーツマンは自己管理が必要ですか? もちろん! 連覇することはかなり大変なことです。先日も全日本選手権の会場で「展開を予想して下さい」とのことで「連覇は大変なことです。」と、答えました。僕も連覇していた当時は試合1週間前くらいから眠れなくなるんです。全日本選手権は特別な緊張感もあるし・・・負けることを考えたら駄目ですよ!自分の持っているものを出し切ることです。「私の目指しているものはもっと上のものですよ!」という気持ちでやらないと足元を掬われてしまいかねないです。と、言う話をしていたら今回石渡君も松井さんも負けてしまいました。でも、決して実力で負けたのではないと思います。技と体は勝っていました。二人とも海外で試合を積んできていましたし・・・負けたとしたら心の部分だと思います。ちょっとした不安な部分が広がってしまうんです。だから、彼らの更なる努力を期待しています。来年またいい試合を見せてくれるだろう事を期待しています。 ----そうです!彼らは絶対に又頑張ってくれると私も期待しています。もう少し、海外でのスカッシュのことをお聞かせ下さい 僕の目標は海外でどれ位活躍出来るかというものもありました。今から19年前日本で初めてプロ選手になったのが良いきっかけでした。外の世界にはすごく刺激されます。自分より強い選手と試合が出来ることにワクワクしました。勝てないと分っていてもワクワクしました。1分でも1秒でも長く試合をしていたいという気持ちです。当時、日本の選手が海外に出るということは珍しく、元アマチュア世界チャンピオンの選手に可愛がってもらいました。パキスタンの有名な選手でゴギ・アラウディン氏です。1ゲーム相手をして貰うのにお金を取るんですよ!(笑)でも、1ゲームした後毎回無料で2時間レッスンしてくれました。そして、食事までご馳走してくれました。僕の得意とするロビングもその時彼が徹底的に教えてくれました。98年のバンコクでアジア大会があった時、僕は日本チームの監督で参加し、彼はパキスタンチームの監督で参加していました。その時オフィシャル(大会役員、コーチ、レフリー等)の試合があり、マレーシアのコーチとの試合を観戦していた時「お前も俺の言う事がだいぶ出来るようになったナーー」と言われました。嬉しかった!(ニッコリ)その時僕は優勝しました。 ----海外にはそんな素敵な方がいるんですか!? 当時、彼は55歳でした。日本チャンピオンの渡辺君を見て「潮木さん、彼を紹介してくれよ!日本のチャンピオンだろう!」と言われました。長いトレーニングパンツをはいての試合でしたが、55歳の彼に日本のチャンピオン渡辺君は接戦の末負けました。僕は渡辺君にこういうスカッシュもあるんだと教えましたよ! 僕が14年間連覇できたのは海外に出て、もまれたということもありますし、もう一つは結婚したのが7連覇した後だったんですが、彼女に「結婚したら弱くなったと言われたくないので、もう7連覇して下さい!」と言われ、約束を果たしました。 ----ご馳走様です!(笑)今年は西尾カップルが優勝しました。すごいことですネッ! そうです。西尾夫婦がチャンピオンの座を取りました。選手権に夫婦で出場出来ること、決勝戦に出られること、共に優勝できたことはすごいことですよ!僕達も優勝と3位ということがありました。 僕の奥さんは宮城島さん、足立さん、舟山さんが活躍していた時代に一緒に活躍していました。 ----西尾ご夫婦、嬉しかったでしょうネッ! そうですネッ!西尾竹英君、とても嬉しかったようです。選手権が終わった後お祝いに飲みに行ったのですがビールを浴びるほど飲んでいました。夫婦で優勝はなかなかないことですよ!
クラブチームの関わり方は非常に難しいですが、スポーツクラブとの関わり方としては、メンバーが村田さんのようにレベルTを取得して、自分の入会しているクラブのスカッシュ未経験者の方々へのスカッシュ導入が少しでも出来ればクラブ側もスカッシュへの理解が増すのではないでしょうか?(その後はスクールなどクラブのプログラムを紹介すれば。。。) ----そうですね。レベルTの資格を役立てたいと思います。役立たせて下さい!では、 最後に潮木さんにとっての『スカッシュ』とは・・・? スカッシュとは、色々ありますが、一言で言えば「自分の全て」です。 スカッシュで生計を立てていることもありますが、最も大事な友人(国内外問わず)もスカッシュ仲間が一番です。 そしてなんと言っても、スカッシュのあとのビールは最高です! ----本当にスカッシュの後のビールって美味しいですよネッ!本日は色々なお話有難うございました。で、最後のお願いですがアルゼンチンに坂本さん、大根田さんと行った時の珍道中のお話を今回の『スカッシュ談義』はスペシャルということでお話して頂けないでしょうか!? どうぞ宜しくお願い致します。 はい!では、アルゼンチンの珍道中の話をしたいと思います。 遠征参加者は、選手として坂本聖二さん(元全日本チャンピオン)、橋本久さん(関西チャンピオン、全日本3位)、大根田芳浩さん(学生チャンピオン)、そして私、日本テレビから、当時日曜日夕方6時半から放映していた独占スポーツ情報の五十嵐ディレクター、清水カメラマンの総勢6人でした。 大会名は、パンアメリカンスカッシュ選手権で、スポンサーのパンアメリカン航空の招待国として、日本、アメリカ、カナダ、ドイツ、あと地元南米の各国が参加しての団体戦でした。 招待国とは言え、航空運賃は無料(スタンバイチケット)、宿泊代は、自己負担でした。 (このスタンバイチケットが曲者でした) 珍道中その1. 出発の1985年5月29日、Do晴海にて4人で練習し箱崎からリムジンバスで成田のはずが乗り遅れ、困っていると白タク近寄って来て、白タクにて成田へ。 到着すると法外の料金を請求されたが、坂本さんの「警察に行って相談するよ!」の一言でバスと同じ料金になる。 (ほっとしたのもつかの間。。。) 珍道中その2. 航空会社のカウンターで発券しようとしたら、チケットはスタンバイチケットで、予約が出来ない。その便に空席があれば乗れるとの説明を受け皆ビックリ。ギリギリのところで大の経由地ロスアンゼルスに行くことが出来ました。 珍道中その3. ロスから次の経由地フロリダマイアミ空港までは、当初満席でしたが、出発直前に4人だけ乗れることになり、選手4人が先に行かせてもらいました。 マイアミから次のリオデジャネイロ(ブラジル)そしてブエノスアイレス(アルゼンチン)までは問題なく無事到着。 (練習、試合と無事に過ぎ、帰国の途に。。。) 珍道中その4. 大会終了の翌日、カナダチームと一緒にリオデジャネイロ(ブラジル)経由でニューヨークへ。(カナダチームはリオでバカンス) 日本への乗り継ぎカウンターで並びに並んで(大混雑)やっと我々の順番になったが、成田便はオーバーブッキングの為、発券出来ない! そして、明日も難しいと説明され、仕方なく近くのホテルで1泊、翌日再トライしたのですが、無残にも×でした。 ただ、我々のスタンバイチケットは、パンナムの路線なら世界中どこでもいけるらしく、選手4人は空席のあったロスに向かいました。 テレビクルーは、放映の予定が日曜日で、編集作業の金曜日には成田に到着しなければならないため別料金を払い他の航空会社の便で帰ることになりました。 珍道中その5. ロスから成田も満席でまたまた1泊し翌日やっと帰国することが出来ました。 (いやー、こんな事ならカナダチームとリオで休暇をとった方が良かったかな?月曜日にアルゼンチンを出発して、金曜日の夕方無事帰国。地球の裏側は遠かった!) ---- 無事、帰国出来て良かった!良かった! ですネッ。。 楽しいお話を有難うございました。それで、第18回の『スカッシュ人談義』でお話しして頂ける方をご紹介下さい。 では、大根田芳浩さんをご紹介します。 ----有難うございます。では第18回『スカッシュ人談義』は潮木さんよりご紹介頂きました大根田芳浩さんにお話頂きます。皆様、どうぞお楽しみに!!! |